-- 神永学オフィシャルサイト限定公開ストーリー 第1弾 --

「心霊探偵八雲 幽霊の住む部屋」
 神永学



    ◆ 最終回 ◆



「さて――」
 八雲が、尖った顎に手を当てた。
 愛子は部屋から出て行き、晴香と陸斗の二人が残された。
 八雲は、これからいったい何をしようとしているのか――その顔に浮かぶ不敵な笑みを見て、晴香は何とも落ち着かない気持ちになった。
「これから、幽霊の正体を暴くとしましょう」
 八雲はそう続けると、陸斗の顔に目を向けた。
「な、何を言ってるんだ? 幽霊なんて……」
 陸斗は、言いかけた言葉を慌てて呑み込んだ。
 その額には、汗が浮かんでいて、顔色も悪い気がする。
「幽霊なんて――何ですか?」
 八雲が、嘲るような視線を陸斗に向ける。それを受けた陸斗は、俯いて黙りこくってしまう。
 晴香には、何が何だかさっぱり分からないが、八雲と陸斗は、全てを理解しているといった感じだ。
「ねぇ。どういうことなの?」
 晴香は、堪らず訊ねる。
「口で説明するより、実際に、君の友だちが見た幽霊に、登場してもらった方が手っ取り早いな――」
 八雲は、独り言のように言うと、そのまま寝室のウォークインクローゼットの前に立った。
「よ、止せ!」
 陸斗が、今にも泣きそうな顔で声を上げる。
 八雲はその反応を楽しんでいるかのように、にっと笑みを浮かべると、クローゼットを一気に開けた。
「えぇぇ!」
 晴香は、仰け反るようにして声を上げた。
 クローゼットの中で、一人の女性が膝を抱えるようにして座っていた。
 八雲に説明されたわけではないが、それが幽霊ではなく、生きた人間であることは、すぐに分かった。
「こういうことだ」
 八雲が、さも当然のように言う。
「ちょっと待ってよ。何がこういうことなの? 全然分からない!」
 晴香が主張すると、八雲が呆れたように首を振りながらため息を吐いた。
「まだ分からないのか?」
「分からない!」
「この女性こそが、君の友だちが見た幽霊の正体なんだよ」
「つまりは、生きた人間だったってこと?」
 八雲が「そういうことだ」と頷く。
 愛子が見たのが、幽霊でなかったことは納得した。だが、まだ問題は山積みだ。
 この女性は、いったい何の目的で、幽霊のふりをしていたのか? それに、どうやって部屋の中に入ったのか? そもそも、この女性は誰なのか?
 晴香は、思いついた疑問を次々と八雲にぶつけた。
 八雲は面倒臭そうに、ガリガリと寝グセだらけの髪を掻き回しながらも説明を始める。
「彼女は、幽霊のふりをしていたわけではない。彼女の存在を、幽霊だと誤解したのは、君の友だちだ」
「そうなの?」
「ああ。彼女は、ただ彼との関係を継続したかっただけなんだ――」
 そう言って、八雲が陸斗に目を向けた。
「そうか! そういうことか!」
 晴香は、ようやく彼女が何者なのかを理解した。
 おそらく、この女性は、陸斗の元カノなのだろう。別れたあとも、陸斗のことを忘れられず、かつて自分が同棲していた部屋に入り込んでいた。
 陸斗は、元カノであるこの女性から、鍵を回収していなかった。だから、自由に出入りすることができたのだ。
 愛子に姿を目撃されたとき、「殺してやる――」と言ったのも、嫉妬の感情から出たものなのだろう。
 状況を理解すると同時に、晴香の中に嫌悪感が広がる。
 元カノと同棲していた部屋で、愛子と同棲を始めただけでなく、鍵の回収すらしていなかったなんて、あまりにも無神経だ。
 と、ここで晴香の中にもう一つ疑問が浮かんだ。
「このことを知っていたんですか?」
 晴香は、陸斗に問い詰める。
 陸斗は黙って俯いたまま動かなかった。返事はなくても、その反応が全てを物語っている。
 彼は知っていたのだ。愛子が見た幽霊が、自分の元カノだということを――。
「あなたが、大急ぎで部屋に戻って来たのは、忘れ物をしたからではありませんよね?」
 八雲が、陸斗に訊ねる。
 やはり陸斗は、何も答えなかった。
「それってつまり……」
 晴香が口にすると、八雲が大きく頷いた。
「彼女は、部屋に誰もいないと思い、中に侵入したものの、運悪くぼくたちが来てしまった。そこで、慌ててクローゼットに隠れた。そして、助けを求めてあなたに連絡を入れた――違いますか?」
 八雲の問いかけに、陸斗は顔を逸らした。
 しばらく沈黙が続いたが、やがてクローゼットの中にいる女性の方が、声を上げて泣き出してしまった。
 ――最低だ!
 陸斗の女性に対するだらしなさが、今の不可解な状況を招いてしまっているのだ。
 人によると思うが、晴香からしてみれば、別れた恋人と連絡を取り合うのは、どうかと思う。
 最悪、良き友人としてやり取りするのであれば、我慢しないでもないが、せめてそのことを言って欲しい。
 ――このことを愛子が知ったらどうするだろう?
 友人として、伝えるべきなのだろうが、言えば傷つくことは分かりきっている。どう伝えるべきか、判断に迷ってしまう。
 八雲は、この状況に、どう結末をつけるつもりなのだろう?
 ふと目をやると、八雲が悪い顔をしていた。
 何だか嫌な予感がする――。
 八雲は、ゆっくりとクローゼットの中の女性に歩み寄る。
「あなたがやっていることは、不法侵入に当たります。警察のお世話になる前に、鍵を返却することを、強くお勧めします」
 語りかけるように八雲が言うと、女性が涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
 しばらく考えるような間を置いたものの、持っていた鍵をすっと八雲に差し出した。八雲は「懸命な判断です」と答えながら鍵を受け取ると、今度は陸斗に目を向けた。
「さて――あとは、真実を依頼人であるあなたの恋人に告げるだけです」
 八雲が淡々と言う。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 陸斗が、八雲にすがりつくようにして言う。
「何を待つんです?」
「頼むから、愛子には言わないでくれ」
「どうしてです?」
「それは……」
 陸斗が口籠もった。
 泣いていた女性が、顔を上げて陸斗を睨み付けている。
「何があったのか、詳しいことまでは詮索しませんが、元カノに期待させるような態度を取ったのが問題ではないんですか?」
「いや、あの……」
「新しい生活を始めるのであれば、しっかりと関係を絶ち、引っ越しもするべきでしたね」
「でも……金も無いし、彼女もかわいそうだし……」
「金がないなら、同棲など持ち出さなければいいでしょ。彼女がかわいそうだと言いましたが、あなたの行為は優しさではありません。自己愛を満たしているだけで、彼女の気持ちをまるで考えていない」
 八雲が、突き放すように言った。
 その言葉を耳にした途端、クローゼットの中の彼女が、はっと何かに気づいたように顔を上げた。
「ど、どうすれば……」
 陸斗が、困惑した顔で言う。
「ぼくからは、この件は愛子さんに伝えずにおきます。但し、条件があります」
「条件?」
「はい。彼女との関係を清算し、二度とこのようなことをしないと誓って下さい」
「誓います」
 陸斗は素直に応じた。
 だが、その言葉に信頼が置けるかというと疑問符だ。晴香には、その場限りのものであるように感じられた。
「分かりました。では、あとは二人で話し合って下さい」
 八雲は、それだけ言うと部屋を出て行こうとする。
 が、途中で何かを思い出したらしく、振り返って陸斗に目を向ける。
「黙っているのはいいんですが、一つだけ困ったことがあります」
 八雲が人差し指を立てながら言う。
「な、何です?」
 陸斗が問い返した。
「このままだと、ぼくは、ただ働きになってしまうんですよね」
 ――え?
 晴香は、思わず声を上げそうになった。
 八雲が何を企んでいるのか、今になってようやく分かった。
 依頼料は愛子から受け取ることになっている。にも関わらず、陸斗からも金を取ろうと考えているようだ。
 心霊現象を解決した報酬ではなく、口止め料として――。
「い、幾らですか?」
 陸斗も、八雲の意図を察したらしく、聞き返す。
 八雲が金額を告げると、陸斗は財布から指定された額を取り出し、八雲に手渡した。
「では――」
 八雲は、受け取ったお金をジーンズのポケットに押し込むと、そのまま部屋を出て行ってしまう。
 どうしたものか――晴香は迷いながらも八雲のあとを追いかけた。
「ちょっと待ってよ」
 外廊下に出たところで、八雲に声をかける。
「何だ?」
 八雲は、そう応じながらも足を止めようとはしない。
「何だ――じゃないよ。報酬を二重に取るのは、よくないと思う」
 晴香が主張すると、八雲はため息を吐いてエレベーターの前で足を止める。
「二重に取るつもりはない」
 八雲は、そう言いながらエレベーターのボタンを押す。
「どういうこと?」
「君の友だちからは、報酬は受け取らないと言っているんだ。彼女は言わば、被害者だからな」
「そっか……」
 愛子に払わせるのは忍びないと思ったから、陸斗から報酬を受け取ったということのようだ。
 だが、それで全てに納得したわけではない。
「本当にあれでよかったの?」
 晴香が訊ねると、八雲は「何が」と応じながら、やって来たエレベーターに乗り込んだ。
「だから、愛子に真実を伝えなくていいの?」
 晴香もエレベーターに乗りながら言う。
 このまま、何も無かったことにして、愛子が陸斗と同棲を続けるというのは、何だか釈然としない。
 晴香自身、知らないふりをし続けるのに罪悪感がある。
「そんなことまで、ぼくたちが心配する必要はない」
「でも……」
「他人の恋愛に首を突っ込んでる暇があったら、自分の恋愛をどうにかした方がいいんじゃないのか?」
 八雲の一言で、晴香は心臓が止まるかと思った。
 いつもの憎まれ口のつもりなのだろうが、晴香からしたら、たまったものではない。
 顔が熱くなり、八雲の顔を見られなくなってしまった。
 そうこうしている間に、エレベーターの扉が開く。八雲は、何も感じていないのか、さっさと歩いて行ってしまう。
 ――私は、何を考えているんだ。
 晴香は、気を取り直して八雲のあとを追いかけた。
「帰るの?」
 晴香が声をかけると、八雲はぴたっと足を止める。
「帰る前に、寄るところがある」
「どこ?」
「頭を使ったから、糖分を補給するんだ。臨時収入も入ったしな」
「だったら、美味しいケーキ屋さんがあるよ」
「ケーキ屋?」
「そう。リリエンベルグっていう、結構有名なお店。ここからだと、割と近いよ」
「どこだ?」
「ショートケーキを奢ってくれたら、案内してあげる」
 晴香の提案に、八雲は悩んだ表情を見せたものの、やがて「好きにしろ」とぶっきらぼうに言った。
「やった」
 晴香は、ガッツポーズをしたあと、八雲を案内するかたちで歩き始めた。

 リリエンベルグのカフェスペースに座り、注文したショートケーキが到着したところで、愛子から電話があった。
 心霊現象の件を説明しようとしたのだが、その前に愛子は全てを知っていた。何でも、陸斗の元カノから連絡があったらしい。
 愛子も、元カノも、陸斗に愛想を尽かしたということだった。
 おまけに、どういうわけか、愛子と元カノは友だちになったらしい。
 その話を聞き、晴香は途中、クローゼットの中の元カノが浮かべた表情を思い出した。「それは優しさではない」という八雲の言葉で、恋から醒めたのだろう。
 もしかしたら、八雲はこうなることが分かっていたのかもしれない。あの言葉は、陸斗に向けたものではなく、最初から元カノに向けていたのではないかとすら思える。
 きっと、そのことを指摘したら、「そんなつもりはない」と否定するのだろうけど――。
 何にしても、これで一件落着だ。
 愛子との電話を切ると、八雲は既にショートケーキを食べてしまっていた。
「もう食べたの?」
 晴香が訊ねたところで、店員がもう一つショートケーキを運んで来た。
 ――二個目!
 
 
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