-- 神永学オフィシャルサイト限定公開ストーリー 第1弾 --
「心霊探偵八雲 幽霊の住む部屋」
神永学
◆ 第四回 ◆
愛子に案内され、晴香と八雲は、リビングルームに通された。
改めて部屋の中を見回してみる。
ヨーロピアンテイストな、素敵な部屋なのだが、前回来たときより、なぜだか鬱々とした空気が充満しているように思える。
きっと、幽霊が出ると聞かされたあとだから、そんな風に感じてしまうのだろう。
八雲は無言のまま、ゆっくりと部屋の中を一周する。
晴香は、愛子と並んでその姿を見守った。
黒い色のコンタクトレンズで隠してはいるが、八雲の赤い左眼には、自分には見えない何かが見えているはずだ。
晴香が、そう感じるのには理由があった。
何となくではあるが、部屋の中に、自分たち以外の誰かの気配を感じる。もしかしたら、この部屋に幽霊がいるという、先入観が生み出した錯覚かもしれないけれど――。
「なるほど――」
一通り部屋の中を見回したあと、八雲がポツリと言った。
「何か分かったの?」
晴香が尋ねると、八雲はこれみよがしにため息を吐いた。
「君は、いつもそうやって結論を急ぐ」
「でも……」
「焦ったところで、何も解決しない。それより、そこの戸の向こうも部屋なんですか?」
八雲が、寝室へと通じる戸を指差した。
前に来たときも閉まっていた。
愛子が「はい」と応じる。
「入っても構いませんか?」
八雲が訪ねると、愛子は「もちろんです」と頷く。
「では、入ります」
八雲は、戸に向かってそう言うと、ゆっくりと手を掛けて開いた。
ウォークインのクローゼットがあって、ダブルベッドと腰の高さほどのチェストが置いてあるだけのシンプルな空間だった。
八雲は、リビングと同じように、寝室をぐるりと回ったあと、ふっと短い息を吐いた。
今の反応――今度こそ、何か分かったのではないだろうか。そう思ったが、晴香は口に出すことはしなかった。
「幾つか、確認させて下さい」
リビングに戻って来た八雲が、そう切り出した。
「はい」
愛子が、緊張した面持ちで答える。
「この部屋を契約したとき、事故物件であるとの告知を受けましたか?」
淡々とした調子の八雲の言葉に、晴香は背筋がひやりとした。
事故物件とは、過去に住んでいた人が、亡くなったことがある部屋のことだ。最近では、不動産業者に、その告知義務が設けられている。
八雲が、この部屋を事故物件だと疑っているということは、やはり幽霊がいるということなのかもしれない。
「分かりません」
愛子は、力なく頭を振った。
「分からない?」
「はい。ここを契約したのは、私じゃないんです。同棲している彼の部屋で……」
言いかけた愛子の言葉を遮るように、ガチャッと音がした。
晴香は、突然のことにと「ひゃっ!」と、妙な声を上げて飛び上がってしまう。
音のした玄関の方に目を向けると、そこには一人の男が立っていた。
悲鳴を上げそうになったが、慌てて呑み込んだ。その顔には見覚えがあった。愛子の彼氏――陸斗だ。
「どうしたの? 今日は、遅くなるって言ってなかった?」
愛子が、陸斗に声をかける。
「いや。……ちょっと、忘れ物をしちゃって……」
陸斗は笑みと共に答えたが、慌てていたらしく、額に薄っすらと汗を浮かべている。
「そうなんだ」
「で、この人たちは誰?」
陸斗は、怪訝な表情を晴香と八雲に向ける。
「昨日、言ったじゃん。例の幽霊の件だよ。晴香の彼氏が霊感強いらしいから、見てもらうって」
――いや、彼氏じゃないし。
否定しようと思ったが、どうにも上手く声が出なかった。急に、愛子の彼氏である陸斗が帰って来たことで、驚いてしまっていたからだろう。
「そうだっけ?」
陸斗は、苦笑いを浮かべる。
この感じからして、ちゃんと話が通っていなかったようだ。
「それでね。晴香の彼氏が、ここが事故物件かどうか、知りたいんだって」
愛子が、陸斗に訊ねる。
陸斗は気まずそうに「えっと……」と口籠もる。
何かを隠しているといった感じだ。
晴香でも気づくような反応の不自然さを、八雲が見逃すはずがない。案の定、陸斗に歩み寄り、すっと切れ長の目を細めた。
陸斗は、八雲の存在に圧倒されたのか、僅かに後退る。
「もう。全て分かっています。悪いようにはしません――」
八雲は、じっと陸斗の顔を見据えながら言った。
視線も含めて、そこには、何か裏の意味があるように思えた。
「は、はい」
陸斗は息を呑んで頷く。
「この部屋は、事故物件だった。ただ、そのことを彼女に伝えたのでは、同棲という提案を受け入れてもらえないかもしれない。だから、黙っていた――そうですよね?」
八雲が、陸斗に目配せしながら訊ねる。
陸斗は観念したのか、目を閉じて大きく息を吐いてから「そうです」と答えた。
「嘘! それ本当なの?」
愛子が驚きの声を上げる。
「黙っててゴメン……」
陸斗が頭を下げた。
「信じられない。私が、怖い思いをした理由を知ってて、黙ってたってこと?」
愛子の声には、明らかに怒りが滲んでいた。
まあ、怒るのも当然だ。もし、事故物件だと知っていたなら、もっと早く対策が練れたはずだ。
「そう怒らないで下さい。彼自身は、心霊現象を体験していなかった。自分が見ていないものは、信じられないのが普通です」
意外なことに、二人の間に割って入ったのは八雲だった。
八雲が、こうした口論を諫める側に回るなんて、これまで見たことがない。何だか、嫌な胸騒ぎがする。
「でも……」
愛子は、まだ納得していないらしく不満を漏らす。
「安心して下さい。この部屋にいる霊は、ぼくが責任を持って対処します」
八雲が、薄い笑みを浮かべた。
「そういうことなら……」
愛子は、怒りの矛を収めたようだが、晴香の中にある嫌な予感は、益々膨らんでいく。
今の八雲の言葉は、どう考えてもらしくない。不自然極まりない。
「これから、この部屋にいる幽霊を祓います。危険ですので、しばらく部屋を出てもらえますか?」
「分かりました」
八雲の言葉に、愛子が頷き、陸斗と一緒に部屋を出て行こうとする。が、それを八雲が「待って下さい」と呼び止めた。
愛子と彼氏が「え?」と同時に振り返る。
「彼氏さんは、ここに残って下さい」
八雲が告げる。
「どうしてですか?」
愛子が訊ねる。
「幽霊が憑いているのは、この部屋ではありません」
八雲の言葉に、晴香は困惑する。
「部屋じゃないって――じゃあ、どこに?」
晴香が聞き返すと、八雲はもったいつけるように、たっぷりと間を置いたあと、陸斗に目を向けた。
何かを察したらしく、陸斗の顔が引き攣る。
「幽霊が憑いているのは、あなたです」
八雲が、白く長い指で陸斗を指し示した。
その途端、陸斗の顔色が、みるみる青ざめていった。
それを見るに至り、晴香は、これまでの八雲の不自然な言動の理由を悟ったような気がした。
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